衣笠祥雄の鉄人伝説と野球人生!不屈の精神力で達成した連続試合出場!

スポーツ

もりもりです。

プロ野球広島カープで中軸打者として活躍し、
広島カープの優勝へ大きく貢献しました。

自らも2215試合連続出場を達成。

「鉄人」と呼ばれた男、
衣笠祥雄さんが死去しました。

ものすごく柔らかい人柄でだったようです。

最近、野球の解説での声に張りがなく
心配されていた人も多かったようです。

体力的に相当つらかったと思います。

死ぬ瞬間まで鉄人であり、
野球とういものに
携わっていたかったんでしょうね。

心底、野球が大好きだったんでしょうね。

そんな、衣笠祥雄さんの鉄人伝説。

野球に対する気持ちや野球人生に
迫ってみました。

衣笠祥雄の鉄人伝説!

衣笠さんは、
「鉄人の愛称」で親しまれた選手でした。

当初の背番号が28だったこともあり、
アニメ「鉄人28号」と相まって、
「鉄人」と呼ばれていました。

なぜ鉄人と呼ばれたか?

それは、
いまだ破られていない2215試合連続出場の
プロ野球記録を達成したからだけではないです。

どんなにケガをしても
痛くてめ試合にずっと出続けたからなんです。

衣笠さんが試合中に骨折したときのことです。

伝説の「フルスイングで三球三振」

1100試合を超えた、
1979年8月1日に広島市民球場で行われた、広島ー巨人戦。

この試合で衣笠選手はデッドボールを左肩に受けて倒れ込みます。

 

左肩肩甲骨の部分で内出血がひどくて、
当たったボールの縫い目が3~4センチついていたそうです。

 

肩甲骨の骨折です。

全治2週間。
医師は試合出場不可能と判断。

 

このときは、
誰もが連続出場記録は途切れたと思った。

 

しかし、
ドクターストップを振り切って翌日の巨人戦に強行出場します。

「代打、衣笠」。アナウンスが響き、
右のバッターボックスに立った。

 

三球三振には倒れたが、
まるで骨折していないかのように痛みを感じさせない、
「豪快なフルスイング」を披露し、
ファンを湧かせたのです。

その時の心境・・・

「24時間あるんですから、野球の3時間の長さを我慢すれば、
野球を離れて治療してるよりは、
自分の気持ちがその方が安定できるって言いますか、
いつもそういうふうに言い聞かせてやってきましたから。
ケガっていうのは決して自分自身にとって、
つらいと思ったことはありません」

衣笠祥雄さんが骨折しても試合に出たのは!

衣笠祥雄さんは当時の心境について、
番組で語っていました。

「振ってやろうというか、自分では自信があったね。

ただ本当に悲しいかな、外に3球投げてきたんだけど、
外の球に対して、左肩がこう伸びるでしょ。

でも伸びる瞬間にパッと後ろに引いちゃうんだよね。
防衛本能でしょうね。

ここまでいって、『よしつかまえた!』と思ったら、
パッと左肩が逃げちゃう。打てないの。あれが悔しくてねえ」

 

そして、
こんなことも話されていました。

「僕はね、痛みよりも、野球やってるほうが心が楽なんですよ。
野球をやらないで、自分がいないチームを家でじっとテレビで見てたら、
もっと僕の自分の心は痛むだろう。焦燥感というのかな。

それがもっと出る。そういう思いはしたくない。
ゲームがあるときは自分が参加していたい。

これは僕がプロ入りしたころゲームに出られなかったから、
その時の『出たい』という気持ちをいまだに持ってる」
「僕にとって三振というのは、野球の中の一部ですね」

豪快なフルスイングは衣笠さんの大きな魅力だ。

その結果積み上げたのが「三振」の数。

引退までに通算1587個という当時の日本歴代最多記録を樹立した。

衣笠さんにとって三振はただのアウトではなかったと・・・

衣笠祥雄の野球人生

京都市で生まれ、
地元の平安高(現龍谷大平安)の3年時には捕手として
甲子園大会に春夏連続出場し、
ともに8強入りした。

1965年、広島に入団。
内野手に転向します。

強打の三塁手として活躍し、
1975年に、山本浩二さんとともに中軸を担って
セ・リーグ初優勝に貢献し「赤ヘル旋風」を巻き起こしました。

1976年に盗塁王。
1984年に打点王で最優秀選手に選出され
日本一にも輝くなど広島の黄金期を支えます。

広島の5度のリーグ優勝、
3度の日本一に貢献した。

通算2543安打、504本塁打、1448打点、266盗塁。
打点王、盗塁王のタイトルも獲得。

まとめ

星野仙一さんが今年70歳で亡くなったばかり。

今度は衣笠祥雄さん。
野球界にとって大切な方がいなくなるのは
すごく寂しいです。

衣笠祥雄さんは父がアフリカンアメリカンの米兵だったことから
酷い差別を受けたことがあったそうです。

それでも、憎むことなく、
人を思いやる心を養って持って、
すごいです。

たとえば、
ひどいデッドボールを当てられても
ピッチャーに喰ってかかったりしなかった。

黙って、あるいは謝るピッチャーに笑顔を返しながら
一塁へ向かったそうです。

ありがとうございました。

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