藤岡弘の妻と娘は!改名の理由と人生最大の危機だった事故とは!

芸能

もりもりです。。

70代とは思えないほど元気で若々しい藤岡弘さん。

私も藤岡弘さんのような年寄りになりたいですね。

そんな藤岡弘さんですが、
私生活の気になる情報を調べてみたいと思います。

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藤岡弘さんの妻や子供は!

藤岡弘さんは
1987年に、ドラマ「白い牙」で共演した
女優の鳥居恵子と結婚しました。

しかし、
結婚生活は長く続続かず、
わずか、3年3カ月後に離婚しました。

 

その11年後の2001年11月に、一般女性と結婚します。

 

なんと、
このときの藤岡弘さんは55歳なんです。

奥さんは31歳で、
24歳下の女性との結婚です。

この年の12月には女の子が誕生しています。

結婚してから、
1か月後には子供ができたのです。

出来ちゃった婚なんですね。

 

藤岡弘さんはテレビでと
普段も変わりない性格なんでしょうね。

 

もしそうなら、

すごく奥さんを大事にされているんでしょうね。

こちらの記事も読んでね。

藤岡弘の元妻の鳥居恵子さんは今、何をしているの?

なんで芸名に読店をつけたの?

藤岡弘さんといえば、
「仮面ライダー」1号

そして、
「藤岡弘、探検隊」ですよね。

 

ここで疑問に思うのは

仮面ライダーのときの名前は

藤岡弘なのに、

藤岡弘探検隊の時は既に「藤岡弘、」と
改名をされています。

 

なぜ改名されたのでしょうか?

改名するきっかけとなった出来事

藤岡弘さんは、
1984年にアメリカ映画の『SFソードキル』で、
武道を通してかねてから関心のあった侍を演じることとなります。

 

しかし、
手元に渡った台本を見ると、
外国人が想像する「侍」
史実のそれと全く異なるものだったのです。

 

戸惑った藤岡弘さんは、
通訳を通して日本の伝統文化における侍の地位、
役割を粘り強く説明しました。

 

苦労の甲斐あって藤岡の演じる「侍」は各国で高い評価を得て、
パリ国際ファンタスティック&SF映画祭批評家賞を受賞し
日本人として初めて米国俳優協会の会員となります。

 

その熱意に深く感銘した現地のスタッフも
藤岡のことを「ヒロシさん」と呼び、
敬意をもって接するようになったそうです。

 

この出来事が切っ掛けとなり、
「昔の武将は一度”、”を打って決意した。
周囲に流されることなく立ち止まり自分を見つめる」
という覚悟と
「『我未だ完成せず』との意味を込めて」改名に踏み切ったそうです。

 

映画の本場であるハリウッドという名前に流されれば
史実と異なった侍を演じて誤解を招いてしまうかもしれないという
自分の立場と昔の武将を重ね合わせたのでしょう。

 

一方で「、」にはてんでダメな男という意味もかけられているという。

 

本人にとっては一つの大きな決心であったが、
藤岡弘さん自身が無理強いしなかったこともあって
番組クレジットなどにも「、」が表示されることは殆どなく、
一部を除いてこの事実は知られなかったようですね。

 

しかしモーニング娘などの台頭で藤岡の「、」も注目され
次第に業界関係者に浸透しはじめます。

 

当初はモーニング娘の人気に肖ったものとの
見方が多くを占めていたのですが、
2003年1月8日に関西テレビの『痛快!エブリデイ』に生出演した際、
司会の桂南光に芸名について質問されると
そこに至る経緯を説明し句読点及び記号ブームの元祖は
藤岡弘さんであることが公となり、

それ以降は番組クレジットなどでも「、」が表示されるようになったんです。

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藤岡弘さんの名セリフ

外見もそして内面でも
素晴らしい藤岡弘 さんが、
人生を語るような名セリフがあります。

 

・「人間はね、負ける勇気が必要な時もあるんだよ」
・「最悪の時にこそ本質がよく見えるものだ。逆境こそ大いなるチャンス。」
・「決して諦めない者は、いつかきっと報われる」
・「この世で最強のものは、愛だ」

藤岡弘さんの人生そのものが映しだされているセリフですね。

苦しい時もそれが成功への道になっている。

だからけっして諦めてはいけない、
そして、いつまでも続けていくことで成功へと導かれる。

 

仮面ライダー復帰はほぼ不可能と言われた事故!

1971(昭和46)年4月3日、土曜夜7時半、
「仮面ライダー」の初回放送です。

そのとき、藤岡弘さんは病院のベッドで身動きできずに見ていました。

俳優業への復帰はほぼ不可能と言われた事故を起こしたからです。

先の見えない絶望的な状況だった。

どんな事故だったのか!

当時、藤岡さんは本郷猛を演じただけでなく
仮面ライダーのスーツを着て、

ライダーを演じていました。

そして撮影中・・・

スピードオーバーが原因でカーブを曲がりきれず
電柱支持ワイヤーに突っ込み、左大腿部を複雑骨折したのです。

 

撮影場所の一帯も造成工事中で、

トラックがブンブン走っている道路のコーナーには砂利が落ちていました。

そのカーブでアクセルを全開にした瞬間、
コントロールを失い、バイクごと電柱に激突したのです。

 

電柱を支えるワイヤに左足が引っ掛かり、
はね上げられた藤岡弘さんはバイクごと吹っ飛ばされて、
数十メートルも転がりながら道路にたたきつけられました。

左足は人形のように変な曲がり方をして、

顔の横にあったそうです。

それを手で元の位置に戻し、
左足の親指を動かしてみると動いた。

 

「まだ神経はつながっている」と、
ほっとした瞬間、体中に激痛が走って意識を失います。

 

当時はヘルメットを着用が義務づけられる道交法改正(72年)の前年で、
当時は法的に問題がなかったそうです。

なので、藤岡弘さんはヘルメットを着用していなかったのです。

 

だが、

柔道をやっていたおかげで
無意識に受け身をして頭を守ったことが
生死の分かれ目になります。

受け身をしていなければ即死だったそうです。

足の方は当時の医療技術では手の施しようがなく、
複雑骨折で骨の破片が筋肉に刺さっている状態。

一命は取り留めたものの、
松葉杖や車椅子での生活を余儀なくされかねない重傷でした。

仮面ライダーはまだ放送開始前。

このまま私は消えていくのか。

俳優人生の大ピンチに直面します。

 

しかし、

仮面ライダーは藤岡弘さんのオートバイの事故が切っ掛けで、
2号ライダー 一文字隼人が急遽登場となりました。

もしも、
藤岡さんの事故が無く最後まで2号が登場する事が無く撮影が進んでいたら、
その後の仮面ライダーはどうなっていたのでしょうね?

仮面ライダーシリーズは一年間で終了していたんでしょうか!

まとめ

藤岡弘さんのように年を取っても
元気で若々しくいたいですね。

今日も読んでくれてありがとうございました。

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