広島カープの黒田博樹投手(41)が2016年7月23日の阪神戦(マツダ)で米大リーグも含めてプロ20年目で野茂英雄(元ロイヤルズ)に次いで、史上2人目の日米通算200勝を達成しました。
素晴らしい記録達成ですね!
チームも1991年以来25年ぶりのリーグ制覇へ向け、首位を独走中です。
優勝すれば喜びも倍増ですね。
黒田投手はアメリカの7年間で79勝を積み上げましたが、その成功の裏には、「何でも受け入れようという姿勢」にあったようです。
たとえば、日本にはない「メジャー流」の調整法や投球術を素直に受け入れたことです。
試合数の多い大リーグでは、日本より短い中4日の登板が主流なんだそうです。
そのための調整法を、こだわりなく試していきました。
そして、日本では「速球やスライダーで三振を取るイメージだったけれど、ツーシームを2種類、3種類と増やしたそうです。
アメリカで成功するには、コミュニケーションがすごく大切だと言われています。
英語でのメールで、チームメートとのコミュニケーションも大事にしていたようです。
そんな黒田投手を陰で支えた妻はどんな人なの?家族は?座右の銘や年棒について調べてみました。
妻はどんな人なの?
黒田投手と妻の雅代さんは2001年に婚約されています。
一つ年上の姉さん女房です。
妻の雅代さんの支えがあったからこそメジャーリーグで活躍できたし、広島カープでの200勝を達成することも出来たんでしょうね。
年上ということもあるのでしょうか、黒田投手にとってすごく頼れる存在のようです。
野球業界では「あげまん」として有名だそうですよ。
アメリカ進出する際には「メジャーリーグに行って、無理だったらまた帰ってきたらいいじゃない。」と、黒田投手の迷いに背中を押してあげたり、メジャーリーガーとして成績が伸び悩んでいるスランプ時期に「日本に帰ってくればいいんじゃない?」と、気軽に電話で話しかけてきてくれたりしたそうです。
この妻の言葉で自分が自分のコトばかりを考えていたことに気づいたそうなのです。
結果が出ない、ケガもする、調子がでない。
今までとは違う環境で野球をしているからこそ、そこばかりに目がいってしまっていたことに気づいた黒田選手は、考え方が大きく変わったそうです。
そして、活躍を続けることが難しいメジャーリーグにおいて高額年俸を結べるような大投手となっていったのです。
家族は?
妻の雅代さんとの間に2人の女の子がおられます。
現在、黒田投手は単身赴任で日本で野球をされているようですね。
家族は現在も全員ロサンゼルスの自宅に住んでいます。
子供たちのことや野球だけに専念するために単身赴任しているんでしょうね!
メジャー在籍中もシーズン中は家族と一緒には生活せず、一人でマンション生活をしていたみたいです。
妻や家族に見られていたら、野球(仕事)に集中できないからだそうです。
黒田投手の両親は父親・母親両方とも、すでにガンで亡くなっておられるようです。
父親が肺がんを患っていた時は、メジャー移籍を一年遅らせて広島の病院へよくお見舞いへ通っていたそうです。
両親をガンで亡くされたことで、癌の研究やガンに対する活動を行う団体・組織に多額の寄付をしているそうです。
実のお兄さんも一人いるそうですが、プライベートのことですので公表されていないですね。
黒田博樹の座右の銘
雪に耐えて梅花麗し(ゆきにたえてばいかうるわし)は西郷隆盛の漢詩の一節です。
この言葉は黒田投手を支え続けてきた座右の銘でもあります。
西郷隆盛(さいごう・たかもり)1828~1877年、薩摩藩の武士で明治初期の政治家・軍事です。
『意味』
梅の花は、冬の雪や厳しい寒さを耐え忍ぶからこそ、初春に美しい花を咲かせ、かぐわしい
香りを発することができます。
苦難や試練を耐えて乗り越えることで、大きく見事な成長が待っているというたとえです。
大成するには楽なやり方・生き方などなく、忍耐が不可欠だということですね。
黒田投手の人生そのものを表す言葉です。
1996年ドラフト2位で広島東洋カープに入団しますが、黒田投手は野球の名門上宮高校で背番号17の補欠でした。
最初から凄い投手だったわけではなく、絶え間ない努力により現在の黒田投手があるのです。
そんな黒田投手の座右の銘のエピソードがあります。
かつて上宮高校の同級生でエースだった溝下進崇さんが、こんなことを話されています。
「その当時クロはよく走らされてた。夜通し走る。それを止めようとしないんですよねあいつ。
黙々と走るというかご飯も食べてないですし真夏なんで凄い暑いんですけどちょっとまずいんじゃないかってこっちが心配しちゃうようなぐらい、
やろうと決めた事はとことんやり抜くというかそういう性格というか、男らしさというか」
凄い気持ちの強い人だといのが良く分かりますね。
好きな言葉をアメリカで聞かれた時も「雪に耐えて梅花麗し」と答えています。
きっと、黒田投手の人生そのものなんでしょうね!
黒田投手の今までの年俸は?
広島カープ~メジャーリーグ~広島カープ。
1996年ドラフト2位で広島カープに入団。
契約金1億円、年棒1300万円。
広島カープ
1997年➧1300万円
1998年➧1800万円
1999年➧1500万円
2000年➧2000万円
2001年➧3500万円
2002年➧7200万円
2003年➧9000万円
2004年➧1億2500万円
2005年➧1億1500万円
2006年➧2億円
2007年➧3億円
2015年➧4億円
2016年➧6億円
総年俸は12億2000万で成績は103勝89敗防御率3.69。
メジャーリーグ
3年契約35億3000万円でドジャースへ移籍
ドジャース
2008年➧7億4300万円
2009年➧12億4300万円
2010年➧15億4300万円
2011年➧12億円
ヤンキース
2012年➧11億7000万円
2013年➧15億円
2014年➧16億円
メジャーでの総年俸は106億2000万円
成績は79勝79敗防御率3.45。
2015年からは4億で広島カープへ復帰します。
プロフィール
黒田 博樹(くろだ ひろき)
広島東洋カープ
生年月日 :1975年2月10日(41歳)
出身地 :大阪府大阪市住之江区
身長 :185 cm
体重 :93 kg
投球・打席:右投右打
ポジション:投手
プロ入り :1996年 ドラフト2位(逆指名)
初出場
NPB :1997年4月25日
MLB :2008年4月4日
年棒 :6億円+出来高(2016年)
経歴
上宮高等学校
専修大学
広島東洋カープ (1997 – 2007)
ロサンゼルス・ドジャース (2008 – 2011)
ニューヨーク・ヤンキース (2012 – 2014)
広島東洋カープ (2015 – )
まとめ
男気がありすごく人気の選手です。
1年でも長く活躍してほしいですね。
頑張ってくださいね。
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