ロング・ウォークとはただ歩き続けること。
ゆっくりと歩くだけ、楽しみながら歩くのならいいです。
ナバホ族は、アメリカの南西部に先住するインディアン部族のことです。
「ナバホ」とは、テワ・プエブロ族の言葉で「涸(かれ)谷のl耕作地」という意味。
アメリカ先住民の最大部族です。
インディアン民族についての詳しいことは、知らなくても映画などで、ご覧になった人は結構おられると思います。
インディアン部族、ナバハ族に対してのロング・ウォーク
1864年1月にアメリカ合衆国大統領、エイブラハム・リンカーンの指示によりナバハ族8500人がアメリカの軍によって20日以上の徒歩によりニューメキシコ州南東部の強制収容所へと移住させられました。
これが、ロング・ウォークというものです。まさしく死のロング・ウォークだと思います。
ロング・ウォークのきっかけ
ロング・ウォーク以前、合衆国は西部の植民地、フロンティア拡大の障害となるインディアン部族の民族浄化として和平条約の締結を進めるために、食糧や物質の配給と引き換えに、インディアン部族を指定保留地へ安住させる約束を結んでいましたが、南北戦争の機運が高まるにつれて、食糧の配給はおざなりとなり事実上放置されてしまました。
この、条約違反に対して、多くのインディアン部族と同様にナバハ族も抗議をしましたが、武力による弾圧で軍事衝突(インディアン戦争)となりました。
ロング・ウォーク以前のアメリカ合衆国とナバハ族との間の戦闘は、1849年ナバハ族で尊敬を集めた戦士ナーボナがアメリカ軍によって殺されたことで戦闘は激しさを増してきました。
インディアンの社会においては首長と呼ばれる指導者はいません。
インディアンの戦士は個人の集団で誰かに統率されて働くということはないです。
しかし、アメリカ白人たちは、酋長を部族の長と思い込んでいて、酋長と盟約を結ぶことで、部族を自分たちに従わせようとしました。
しかし、インディアンの戦士は個人の集団ですので、酋長は調停者にすぎないので、「和平条約」を結んでも部族の総意とはなりません。
なので、いくら酋長との間で和平条約を結んでも、戦士たちの反抗はなくなることがなかったのです。
その後、ナバハ族に対してのロング・ウォークになるのです。
ナバハ族の今は
第二次世界大戦中には、コード・トーカーとして約400人がグアムや硫黄島、沖縄などで従軍しています。
第二次世界大戦の時には真珠湾攻撃の時にナバホ語が暗号として使われ、日本に大きな打撃を与えたそうです。
その時に暗号を話していたナバホの人々はコードトーカーとして、今でも人々からたたえられています。
そして、ナバホ族は母系社会で、昔から女性がラグを織り放牧をして家庭を支えてきました。
かつての男性の仕事は、トウモロコシの粉引き略奪だったそうです。
社会的においての役割が薄かったためアルコール中毒になる男性も多かったといいます。
もちろん現在は企業が進出してきているので、自動車工場など、会社で働いたジュエリーを作ったりして、男性も働いている家庭がほとんどです。
色々なスタイルのジュエリーと手織りで作られるラグが、すごく有名です。
侵略者に自分たちの土地を奪われたりする争いの絶えない歴史をを生き抜いてきた過去があるので、ナバホ族はどのインディアン部族よりもお金を稼ぐということには長けています。
依然としてアルコール中毒者の数はナバホ政府の大きな問題ですが、一方商売熱心でよく働く人も多いです。
他にも、様々な決まり、タブー、伝統があり、日本人では立ち入ることのできない、知ることのできない事も多いですが、日本の伝統文化同様、ナバホ族も非常に興味深い文化を継承しています。
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