秋山里奈は全盲の元競泳選手でパラリンピック金メダリストです

スポーツ

秋山里奈さんは全盲の元競泳選手です。

2004年アテネパラリンピック100m背泳ぎS11クラス(視力0)で銀メダリスト、

2007年ジャパンパラリンピック水泳競技大会で世界記録を更新して優勝されています。

2012年ロンドンパラリンピック金メダリストと、輝かしい成績を残している実力のある女子競泳選手です。

生まれつき全盲であったが、母の進めもあり3歳の時からスイミングスクールへと通い始めています。

何度となく挫折もあり、多くの苦労を乗り越えてきて金メダルを取った秋山里奈さんってどんな人なのでしょうか?

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プロフィール

秋山里奈(あきやま りな)
生年月日:1987年11月26日
出身地:神奈川県伊勢原市
星座:いて座
身長:163cm
体重:47キロ
学歴:明治大学大学院法学研究科終了(刑法専攻)

先天性の視力障害

生まれて間もない頃、目の動きに異常を感じた両親は病院へ連れて行ったそうです。

そしたら、医師からは「網膜剥離」と診断され、見えるようにはならないと告げられたそうです。

ご両親はすごくショックだったでしょうね。

両親は、水泳なら目が見えなくても危険が少ないと思い習わせたようです。

そして、3歳から水泳教室に通い始めますが、小学4年生の時にはじめての挫折を味わいます。

練習中のバタフライが、どうしてもできなくて、辞めたい辞めたいと思ったそうです。

くじけそうになった時に出会った本

目の見えない自分には無理ではないかとくじけそうになった時に、ある一冊の本と出会ったのです。

15歳で全盲となった河合純一さんの人生が綴られた本です。

水泳選手の夢をあきらめず、努力を重ねてパラリンピックに出場。

これまで、自由形やメドレーリレーで21個ものメダルを獲得しています。

秋山里奈さんは、この本を読み、どんな困難が待ち受けていても、一生懸命頑張れば目標は達成できると小学生なりに感じ取ったみたいでね。

現役時代のころの話

16歳でアテネパラリンピック100m背泳ぎで銀メダルを取ります。

そして、秋山里奈さんは地元の盲学校に進学しました。

その後、筑波大学付属視覚特別支援学校に進学し、寮生活を体験します。

水泳をしていく上での体験談で、途中で視力を失った人と、先天性の自分との間にあるものについての話されています。

元々、見えていた人たちは、自分の体に身についたフォーム、理想とするフォームを感覚で掴めるのに対して先天性の自分は理想のフォームすらない。

見えないから周りがどういったスタイルで泳いでいるのかもわからない。

その中で、気をつけることはぶつかったとして、その後どう立て直すかを考えることです。

泳いでいる途中でぶつからないというのは不可能だからこそ、ぶつかったあとのことを考えていたそうです。

最後のロンドンパラリンピックの際も、75m地点でぶつかってしまったけれど、金メダル金メダルとひたすら思いながら泳いでの金メダルだったと言います。

もし、自分ならどうする?

人は少しづつ年を重ねていくと、あちこちと体が悪くなってきますよね。

そんな時、ふっと思うんです。

自分にとって、絶対に失いたくないものは何かって、私はいつも視力だけは、失いたくないと思っています。

好きな物を見ることも、愛する妻や家族の顔をこれからは、ずっと見ることもできなくなるのですから!

秋山里奈さんや視力に障害を持っている人はどのような気持ちで、毎日を送られておられるのかなって思うことがよくあります。

2020年の東京パラリンピックについて

2020年の東京パラリンピックについて語られています。

あまりにも準備ができていない。

スポーツの楽しみ方や観戦のマナーや報道のされ方だったりが、まだまだ発展途上国です。

すべての面で、パラリンピックに対しての楽しみ方や理解不足があるのを心配されているのかも知れませんね。

秋山里奈さんは、死ぬまでチャレンジであり続けたいといっておられます。

まとめ

視力を失いながらも、必死に生きていく姿には、すごく感動してしまいました。

足が痛い、腰が痛いと泣き言をいうだけで、何の努力もしない自分が恥ずかしくなってしまいました。

負けずに頑張りたいと思います。

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