鳥居みゆきさんのテレビで見せるマニアックな印象と私生活における素顔とのギャップはすごくあると思います。
芸能界で生きていくためには、素のままででも十分にやっていける人と、本当の二重人格ではないですが、個性を出すために仕事で見せる顔と素顔とを分けることが必要な人がいると思います。
鳥居みゆきさんは後者の方だと思います。
それでは、彼女が見せる「キャラ」としての顔と「素顔」を書いてみました。
キャラとしての鳥居みゆき
上下に白い色の服を着て、支離滅裂な発言をしている、「マサコ」というキャラ設定ですね。
テレビに映る「鳥居みゆき」は、不可解としか言いようのない意味不明な発言が多い。
また、見開いた目がすごく怖いですね。
支離滅裂な発言や怖い目には、個性を出すための意図があるようにと思う。
支離滅裂すぎて、ときには周りの人を巻き込んでしまい困らせてしまう。
マニアックすぎて、子供とか真面目な性格の人はついていけない場合がある。
これらはお客様に、インパクトを与えるための芸である。
素顔の鳥居みゆき
時折見せる「素顔」は、“本当にあの鳥居みゆきなの?”って疑ってしまうほど、どこにでもいるフツーの女性ですね。
女優としての仕事もまじめにこなしています。
ドラマでは表現力豊かな演技で、ちゃんとした話し方もできることを証明している。
取材の受け答えや挨拶もしっかりできるマジメな女性です。
一度会った記者のことは何カ月経ってもフルネームで覚えているほど頭もいいですが、不器用な一面もあるみたいですね、
映画『やさしい旋律』で鳥居がヒロインにポットを渡すシーンがあるのですが、監督が“ちょっと上に上げて”と演技の注文をしたら、彼女は肩に担いじゃったらしいです。
状況を見て判断することが苦手なタイプなのかもしれませんね。
歌は上手ですね、中島みゆきの歌を歌ったらすごく上手でした。
その鳥居みゆきが12歳の頃の写真は、当たり前ですが普通の子供でした、目を見開いたりしてないで、普通に笑ってます。
まとめ
「素」が、本当の鳥居みゆきだとしたら、いつもの意味不明な発言は個性としてキャラを作るための「演技」でしかなく、ドラマに例えるならば、私たち視聴者は大女優が作り上げた見事な演技に完全にだまされていたことになりますね。
鳥居さんにとってキャラは一つの「役」で、そうとは知らずに視聴者は何の疑いもなくその「役」に翻弄されていたと言えます。
最近は、「役」を忘れてしまった、鳥居みゆきさんになってしまっていることが多いですね。
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