相撲取りの方は短命だと言われていますが元横綱千代の富士も61歳という若さでした。
昭和末期から平成にかけて一時代を築きあげた、元横綱千代の富士、九重親方が31日、亡くなられました。
「ウルフ」という愛称で、相撲取りとしては小さい体で決して恵まれた体型ではなかったですが、自分よりも大きな力士を投げ飛ばす姿にすごく憧れました。
61歳という若さで、すごく残念に思います。
元横綱千代の富士は、昭和30年、北海道福島町で生まれ、昭和45年に初土俵を踏みます。
昭和56年の名古屋場所で2回目の優勝を果たして第58代の横綱となり、前みつを取っての速攻や強烈な上手投げなどで圧倒的な強さで人気がありましたね。
優勝回数は31回で歴代3位、通算1045勝は歴代2位の記録です。
そして、相撲界で初めて国民栄誉賞を受賞されています。
平成3年の夏場所の初日に18歳の貴花田、のちの横綱・貴乃花に敗れ、3日目に貴闘力に敗れたあと、自身の力に限界を感じられたのでしょうか!
突然の現役引退を表明しました。
引退後は九重部屋を継承して大関・千代大海など多くの関取を育てています。
全盛期は敵なしだった元横綱千代の富士でしたが、そんな強さを得るまでの陰の努力はすごく大変なものだったようですね。
あの筋肉隆々の体に憧れたものですが、そんな体に鍛え上げたきっかけは?子供は?妻はどんな人なの?
筋肉隆々に鍛え上げたきっかけは?
若いころから脱臼癖があったといわれています。
元横綱・千代の富士が最初に脱臼したのは1973年(昭和48年)春場所でした。
当時は18歳で東幕下51枚目です。
元々、入門のころから身体に似合わず大きな相撲を取る気の強い性格だったようで大きな相手でも強引に引き込み、腕力に任せて投げを打つ取り口ばかりだったそうです。
たしかに力強い取り口で迫力はありますが、体の大きな相手を投げるのですから腕や肩には、それなりの相当の力がかかってきます。
肩の脱臼はいつなってもおかしくない状態ですよね。
当時の兄弟子で横綱・北の富士関からも、それを注意されていたそうです。
そんな相撲ばかり取っていたら、「また肩がはずれるぞ!」と・・・
でも、今までやってきた相撲の取り口を変えることができなくて、何度も何度も脱臼をくりかえしてばかりだったようですね。
医師によると、千代の富士の肩は関節のかみ合う部分が浅くて外れやすい体質だったようです。
手術をすれば治るといわれてはいたけど、それでは動きが鈍くなるという理由で、結局手術はしなかったようです。
ではどのように克服したのでしょうか?
脱臼癖を筋トレで克服する
そこで、手術をせずに脱臼をしないようにするには、肩の周りに丈夫な筋肉を鎧のようにつけるのが一番いいのではないかとのアドバイスをもらい、筋トレに励むようになったようです。
最初は鉄アレイ、ダンベル、バーベルなどの器具を使った筋トレを取り入れます。
しかし、器具を使った筋トレはしっくりいかなかったようですが、同時並行して行ってきた腕立て伏せの方が肩にしっくり来たようです。
きちっと腕を曲げて胸まで下ろすこの運動が本人にとっては肩の筋肉を作る上で一番効果があったみたいですね。
そこで、この腕立て伏せを最初は50回やっては休み、また50回・・・・という感じで10セット、一日500回をノルマにしてトレーニングしています。
凄い回数です。
根気がいるトレーニングですね!
そして、これを毎日行いながら稽古を続けた結果、いつの間にか肩の筋肉がものすごく盛り上がってきて脱臼しずらくなり、力も脱臼する以前に比べてかなり着いてきたという実感を得たみたいです。
元横綱・千代の富士といえば、あの見事な筋肉が有名ですからね。
盛り上がった筋肉は見る者を驚かせるほど見事でしたね。
とくに、二の腕はとても太くて力強さがありました。
後ろ姿を見れば良くわかると思います。
脂肪などまったく見当たらず、筋肉の塊のごとき姿です。
力士のお腹はぽっこりしているイメージが強いですが、元横綱・千代の富士のお腹は全然違っています。
弛みは見られず、筋肉で引き締まっていました。
元々筋肉質なんでしょうが、若い頃はまだ全体が細かったです。
あれだけ見事な肉体になったは努力のたまものですよね。
子供は?
長男、長女、次女、そしてもう一人娘さんがおられたのですが、乳幼児突然死症候群でお亡くなりになられています。
長男の剛(ごう)さんは、生年月日は1987年の7月27日で、現在はファッションモデルを務める傍ら、東京・表参道にあるアディションアデライデのオーナーとしても活躍しているようです
長女の優(ゆう)さんもファッション関係のお仕事をされているようです。
Faline Tokyoのショップスタッフとして働きつつモデルやDJとしても活動されています。
次女の秋元梢(あきもと こずえ)さんはエキゾチックな美貌のモデルとして芸能界で活躍をされています。
千代の富士が、1988年5月場所に優勝した際の記念撮影で、優勝杯とともに腕の中に大事に抱えていたあの赤ちゃんが、娘の梢さんですね。
父親である元千代の富士とはすごく仲が良かったそうです。
外出の際は、手をつないで歩いていたりしていたそうです。
芸能界デビューを決意した際は、「やりたいことをやれ」と背中を押してくれたそうです。
現在はタレントとしても活躍されていて、バラエティ番組なんかには頻繁に出演されています。
プロフィール
秋元 梢(あきもと こずえ)
生年月日: 1987年7月27日
現年齢 : 29歳
出身地 :東京都
身長 :165 cm
スリーサイズ:80 – 60 – 86 cm
靴のサイズ : 24.5 cm
活動
ジャンル :ファッション
モデル内容 :一般
他の活動 : 女優
妻はどんな人なの?
旧姓、進藤久美子さんです。
4歳年下だそうです。
1982年5月14日に師匠が口頭で千代の富士の婚約を発表、5月24日に正式発表し結納も行われています。
そして6月1日が27歳の誕生日で、9月30日にホテルニューオータニで挙式されています。
妻の久美子さんとの出会いは福岡のスナックと言われています。
それから2年ほどの交際を経て結婚されました。
また久美子さんは元福岡市長だった進藤一馬さんの親戚筋に当たられる方です。
久美子さんの父親は玄洋社の幹部で晩年は玄洋社記念館館長を勤めた人です。
玄洋社は明治時代に頭山満らが設立した政治結社で一般的には右翼とされています。
玄洋社の社則の条項は「皇室を敬戴すべし」、「本国を愛重すべし」、「人民の権利を固守すべし」で大アジア主義を唱えました。
奥さんの父親の祖父は頭山満と共に玄洋社の設立メンバーでもあるといわれています。
まとめ
まだまだ、これからという年齢でもあり、本人も家族も悔しい気持ちがあるのではないでしょうか。
悲しくて辛いでしょうが、家族で助け合って生きていってくださいね。
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