もりもりです。
今日は伝説のアイドル、山口百恵さんについてです。
山口百恵さん(57)は、1980年の引退していますが、
今でも愛され続ける永遠のカリスマ性を持っているアイドルです。
引退されても復帰をする芸能人はいますが、
山口百恵さんは人気絶調のときにファンに惜しまれつつも、
自分の信念を貫き結婚とともに引退されました。
引退されるときに復帰はないといわれていたように、
現在も芸能界に復帰はしていません。
山口百恵の旦那さんは俳優の三浦友和さん(64)です。
ハンサムで素晴らしい演技をされる俳優さんですよね。
11月22日は「いい夫婦の日」です。
これに合わせて、毎年「理想の夫婦」ランキングが発表されています。
20~70代の既婚男女に調査するバージョン(明治安田生命調べ)では、
「三浦友和・山口百恵」が2014年まで9年連続で1位に選ばれています。
理由としては、人気絶頂だったにも関わらず、
芸能界から引退して家庭を支える山口百恵さんの
潔さに感銘を受けた女性が多かったようですね。
引退されてもずっと人気があるのが、
こんな調査からも伝わってきますよね!
そんな山口百恵さんの生い立ちと引退理由!
三浦友和さんとの出会いや息子さんについて
まとめて調べてみました。
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現在の山口百恵さんは?
山口百恵さんは当時、誰もが認めるトップアイドルでした。
とても魅力的でしたね!
山口百恵さんのファンは今でも、
当時のままの面影を思い出しながら
ずっと、ファンとして愛しているのでしょうね。
引退されて36年の歳月が流れても
山口百恵さんのファンは沢山います。
わかってはいるけれども、
今でも当時の面影を残していてほしいと思っている人も
多いのではないかと思います。
しかし、
57歳になり当時の姿とはかけ離れているでしょうね。
それは、仕方がないことです。
旦那と成人した子供2人の母親なんですから。
旦那との出会いは?
旦那の三浦友和さんと初めて出会ったのは、
1974年5月の東京の桜の名所としても知られている
世田谷の砧公園でのCMの撮影です。
その時、
山口百恵さんが三浦友和さんを見た印象は
俳優の三浦友和さんでなく、
青い運動着を着ていたせいもあるかもしれませんが、
まるで公園で練習している選手みたいだったといっています。
お互いに興味を抱くようになったのは、
1974年9月の映画『伊豆の踊子』での
初共演からではないでしょうか!
『伊豆の踊子』は大評判になった映画です。
それ以降、女優として活動も多くなり、
山口百恵さんと三浦友和さんの2人の共演が
増えてきました。
仕事での移動中の車での友和さんの
やさしさがうかがえる出来事がありました。
どんなに疲れていても、
仕事中には疲れている素振りを出さないほど
頑張り屋だった山口百恵さんですが、
人気者となった百恵さんの仕事は増え続け、
スケジュールが一杯となり疲れ果てて移動の車の中で、
ふと眠りにつこうとした時、
友和さんは耳元でやさしく、こうつぶやいたそうです。
「眠りなさい、可哀想に。 疲れてるんでしょう」、
このさりげなく相手のことを気に掛けるやさしい気持ちに
惹かれていったんでしょうね!
今度は1975年の『潮騒』で共演をします。
以降の5年間は、毎年映画やドラマで共演されています。
そして、
いつしか2人は芸能界の『ゴールデンカップル』と
呼ばれるようになっていきます。
2人が共演したドラマや映画は人気があったですね。
すごくお似合いのカップルでした。
その当時から、
2人は一緒になると思っていました。
お互い電話番号を交換し、
交際が始まり恋人関係となっていきます。
すでに結婚を決めたんでしょうね!
山口百恵さんは、東京帝国劇場でのリサイタルで
三浦友和さんとの恋愛を明かします。
『恋人宣言』です。
当時は、スターの異性との交際はタブーと見なされていたため、
この発表は非常にセンセーショナルでしたね!
そして、
1980年、山口百恵さんが21歳のとき三浦友和さんとのご結婚とともに、
芸能界引退を発表されました。
息子は?
山口百恵さんには2人の息子さんがいます。
長男の三浦祐太朗さん(1984年4月30日生まれ)、
次男の貴大さん(1985年11月10日生まれ)です。
長男の祐太朗さんはバンドマンとして
「Peaky SALT」にて2008年にメジャーデビューを果たしています。
現在は活動を休止されているようです。
現在は、ソロ名義で活動をされているようですね。
祐太朗さんは三浦友和さん似ですね!
次男の貴大さんは俳優として活躍中です。
俳優になろうと思ったのはお兄さんのように、
唄うのが上手くないからだそうです。
数多くの映画やドラマに出演され活躍されています。
生い立ちは?
山口百恵さんは1959年1月17日生まれの東京都出身です。
百恵さんには、5才下の淑恵さんと言う妹がいます。
父親には別に本妻がいて、
山口百恵さんの母親は本妻ではなかったそうです。
愛人だったんですね。
父親は、百恵さんの家へ頻繁に通ってはいたようですが、
本妻と離婚することはなかったようですね。
母親への愛情が深い分、
本妻と別れない父親に憎悪の感情を抱いていたんでしょうね。
子供ながらに父親を恨んだでしょうね!
生い立ちについて書かれている自伝では、
「私に父はいない。私はあの人の存在を認めない。」
といった内容のことが記されています。
山口百恵さんが、スターになると、
父親は事務所に勝手に借金をしたり、
百恵さんの親権を母親から奪おうとしたそうです。
それで、百恵さんは多額の手切れ金を渡し、
父親と縁を切ったそうです。
なんと勝手な親なんでしょうね!
恨まれても仕方がないでしょうね。
歌手になったのは、
歌が好きだからだけではなくて、
大好きな母親を楽にしてあげたい気持ちが
強かったんですね。
売れれば歌手は大金を稼ぐことが出来ますしね。
すごく、母親思いですね。
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妹はどうしているの?
山口百恵さんの妹の淑恵さんは
今どうされているのでしょうか?
淑恵さんは留学された経験があるようですね。
山口百恵のお母様(正子)のご葬儀の際、
放映されたテレビで、出棺の時、
棺を車に乗せる方々の中に
外国人の白人男性が1人いました。
その方が淑恵さんの旦那さんだったのでしょうか?
棺は近親者が触れるものだと思います。
留学されたときに知り合い、結婚されたのかも知れないですよね。
妹の淑恵さんも百恵さんのところには
よく遊びに来るといわれていますね。
引退理由は?
引退の理由は結婚して幸せな過程を
築くことだけだったのでしょうか?
人気絶頂の中、惜しまれつつ去り、
その後も復帰を望む声が止まないにも関わらず、
一切、表舞台には出ていませんよね!
百恵さんの芸能活動期間は、
わずか7年で、結婚&引退時は21歳という若さでした。
事務所との不仲説という噂もありましたが、
結婚のために引退したのは間違いないようです。
百恵さん自身、事務所とは
「揉めたこともあったけど、一緒に仕事が出来て良かった。」と
雑誌のインタビューで語っています。
もともと芸能界には、
それほど未練がなかったのかも知れませんね。
歌手になったのも、母や妹を楽させたくて、
稼げる仕事だと思ったのが理由です。
十分に母や妹を楽にさせてあげれるほど、
稼いだので、
あとは自分の幸せのために生きて行きたかったんでしょうね。
すごく、気持ちが理解できます。
山口百恵プロフィール
山口 百恵(やまぐち ももえ)
本名:三浦 百惠(みうら ももえ)
(旧姓:山口)
別名義:横須賀 恵(よこすか けい)
(作詞時のペンネーム)
生年月日 :1959年1月17日(57歳)
出生地: 東京都渋谷区恵比寿
(出身地:神奈川県)
血液型:A型
職業:元歌手、元女優
ジャンルテレビドラマ
映画
歌謡曲
活動期間 1973年 – 1980年
配偶者 三浦友和(1980年 – )
著名な家族:三浦祐太朗(長男)、三浦貴大(次男)
三浦友和プロフィール
三浦 友和(みうら ともかず)
本名:三浦 稔
生年月日:1952年1月28日(64歳)
出生地:山梨県塩山市
身長:178 cm
血液型:AB型
職業:俳優
ジャンル:テレビドラマ、映画
活動期間 1972年 –
活動内容 1972年:『シークレット部隊』でデビュー
配偶者 山口百恵(1980年 – )
著名な家族:三浦祐太朗(長男)、三浦貴大(次男)、絲木建太(甥)
事務所:テアトル・ド・ポッシュ
よかったら、三浦祐太郎さんのブログも見てくださいね!
まとめ
不幸な生い立ちを持ちながらも大変な努力をされ、
今は幸せな家庭を築かれたこと、
すごく素敵な生き方だと思います。
尊敬してしまいます。
母親、妹を楽にしてあげたい思いで歌手になられたそうです。
もう、テレビで見る機会はないんでしょうね。
今日も読んでくれてありがとうございました。
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